第150回 「ヘレン・ケラー、最後の望み」

交通事故などでケガをした場合、目に障害を受けたときと耳に障害を受けたときとでは、補償される金額にかなりの差が出てきます。確かに、目が見えないことは耳が聞こえないということよりも、生活をしていくうえでずっと不自由で大変ですから、賠償額が大きくなるのは当然でしょう。

しかし、目が見えない・耳が聞こえない・話すことができない「三重苦」を背負いながら作家、詩人、演説家、福祉事業家として活躍したヘレン・ケラー女史が、1つだけ望むものといったら目が見えるようになることよりも耳が聞こえるようになることだったそうです。

また、人が亡くなるとき、目が見えなくても、身体を動かしたり言葉をしゃべることが出来なくても、最後まで耳は聞こえているという話を聞いたことがあります。中医学でも、耳は五臓六腑の中でもとりわけ重要なところとされている腎と密接な関係がある重要な部分ですし、耳で寿命もある程度は判断することも出来ます。もしかしたら、耳というものは、西洋医学で考えられている以上の働きを持っている感覚器なのかもしれません。

“終わりよければ、すべてよし”とはイギリスの劇作家シェイクスピアの言葉ですが、たとえそんなに恵まれた人生でなくても、最後、天国に旅立つときに「生まれてきてよかった」「いい人生だった」と思えるような言葉を愛する家族や友人たちにかけてもらったら、そのひとの人生はそれだけでもどんなに幸せなものになることでしょう。

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